思考のよせなべ

清水喜文ブログ

親の色、子の色

 

家族の中で自分だけが違う、と思ったことはありませんか?

両親とは、どうも気が合わない、と思ったことは?

自分は誰にも理解されない、は?

残酷な仕打ちを受ける、……とかは?

 

「それでも生んでくれた親でしょう」と人は言う。

だから我慢しなさい、と。

本当にそうでしょうか?

 

 

【始まりの色】

 

以前の記事で、宇宙の始まりに「無」があり、そしてそこには、すべてが含まれると書きました。

 

yoshifumi3.hatenablog.com

 

そしてその流れで、黒というのは色がないわけではなく、すべての色を吸収したものとも書きました。

宇宙の始まりの「無」を、「黒」に例えたのです。

 

そしてビックバンが起こると、「無」から宇宙が飛び出します。

「黒」の場合はそれが、「含まれていた様々な色たちが、飛び出した」となるのでしょう。

 

そこで、です。

「色」とは何だろう、と考えてみました。

 

「十人十色」という言葉があります。

人はそれぞれ、考えや、好み、性格などが異なるという意味。

 

では「色」とは、「個性」?

 

いや、「魂」の方がしっくりくるような気がします。

 

 

【色を選ぶ】

 

 雲の上から地上を見下ろす「色」がいた。

 彼(彼女?)の色は、「青色」。

 とても綺麗なネイビー。

「ネイビー」には夢があった。

「エメラルドグリーンになりたい」という夢。

 

「どうしたらあの色になれるの?」

「ネイビー」が訊くと、天使は答えた。

「君に黄色を足せば、近い色になるよ」

「えっ、黄色⁉」

「ネイビー」は黄色が苦手だった。

「では、止めとく?」

 いや、と「ネイビー」は首を振る。

「やる」

 

 そして「ネイビー」は、「黄色」の両親のもとに生まれた。

 

 文 清水喜文

 

なるほど、これが「親を選んで生まれてくる」ということなのかも。

そして、親子でも毛色が違う理由。

 

「ネイビー」に「黄色」をほどほどに足すと、美しい「エメラルドグリーン」に近づく。

でも、「黄色」が多すぎると、「黄緑色」になってしまう。

う~ん。難しい。

 

【激しすぎる色】

 

「黒」から飛び出した「色」たちは、何度も生まれ変わり、「色々」な経験を積んで、深い色になっていく。

だが、どうしようもなく残酷な者は、未だ「原色」に近いのです。

「原色」は強い。

周りの色を「自分の色」に変えていく力が、恐ろしいほどに。

 

親がもし「原色」ならば、「色」が移りすぎる前に立ち去ってもよいのだと、僕は思っています。

それこそ、「色を失う」前に。

 親が「色をなして」もいいんです。

バックレましょう。

 

 

【終わりの色】

 

「黒」から生まれた「色たち」は、「色々な」を経験して、すべての「色」を学んでいく。

そして最後は、そのすべてを浄化して、「すべての色」を反射した時に知覚する色、「白」になるのです。

 

「色」を学ぶのは、本人しかできせん。

心理学者のアルフレッド・アドラー流に言えば、「それは親の課題だよ」です。

 

エメラルドグリーンを「自分の色」に染めようとする「黄色」とは距離をおいていいのだ、と僕は考えます。