思考のよせなべ

清水喜文ブログ

無は、ワンネス

 

 

以前に、下の記事で「無」について言及しました。

無とは、「光も物質も空間も時間も全く存在しない世界である」と。

 

yoshifumi3.hatenablog.com

 

 その「無」に関して、洞察を与えてくれた方がいました。

その方のブログを紹介します。

 

moonandoceanhawaii.hatenablog.com

 

moonandoceanhawaii.hatenablog.com

 

自分とそうでないものを 区切っていた意識が なくなる

全ての元は エネルギーですから そのレベルでは 私とあなた、これとあれと言ったような 区別がないわけです。

自分が ”気”そのものになれば 自分が動くだけで ”気”を 動かすことができる。

自分でなくなる瞬間が 無であったことが ”無”の 語源だったように思いました。

 

moonandoceanhawaii’s blog

 

科学者は言う。

「無から、豆粒ほどの宇宙が生まれた」と。

ところが、「宇宙とは、すべてを内包したもの」とも述べています。

「生まれる」のは、もともと「在った」からだと思うのです。

何もないところに、すべてを内包したものが在る。

矛盾していますよね。

科学者は、「説」は唱えることは出来ますが、「想い」は、立場上、言えないのかもしれません。

だから、彼らは、「無はあった(在った)」としたのかも。

 観測できないだけで、初めから「無」には、すべてが揃っていたのでしょう。

 

大切なものは、目に見えない。

 

星の王子さま」 サン=テグジュペリ

 

黒という色は、色がない状態ではなくて、すべての色を吸収したもの。

青色が、黒に吸収される時、色を失うわけではなく、すべての色と同化するのだと思います。

同じように、いつか我々は、自我が「なくなる」のではなく、「すべてそろっている場所」に帰るのかも、です。

「豆粒ほどの宇宙」が、「神」に相当する言葉なのだろうと、思っていました。

ですが、「無」こそ、「ワンネス」と呼ばれるにふさわしいのだと、気づきました。

 

あらゆる言葉や現象には、表面をなぞっただけでは見えない、深い意味があるとは思っていたのです。

ですが、迂闊でした。

その中でも、「無」というのは、特にデリケートに扱わなければならないもののひとつでしたね。