思考のよせなべ

清水喜文ブログ

愛は、いつだって利己的なもの。

 

その者は、世界を創った。

「創造主」

後にそう呼ばれるようになる彼は、ただ知りたいだけだった。

『愛』というものを。

ただそれだけの理由で、世界を創造した。

 

その者は、創りだした「生物」に、最低限の指令を与える。

それは、『生き残る』ことと、『子孫を残す』こと。

なぜなら、シミュレーションを長く続けるためには、どうしても必要な条件だから。

 

「生命を維持する」「捕食する」「捕食者から逃げる」「繁殖する」という原始的な欲求だけで動く生物は、進化を続ける。 

より巨大で、凶暴な者へと。

 

ある時、創造主は気づく。

「このシミュレーションでは、いつまで続けても『愛』は育たない」と。

そして、この世界の生物をリセットする決心をする。

 

創造主は、群れで暮らす生物に注目した。

彼らは、 弱い。

だからこそ集団となって、捕食者から身を守ろうとしている。

「群れの誰かが狙われている隙に逃げ出せる」

そう考えているのなら、これは利己的な思考だ。

だが時に、彼らは群れの誰かを守ろうとするそぶりを見せる。

群れは多い方がよいという計算のもとであろうが、それでもいい。

創造主は、弱い者たちを残すことにした。

 

巨大で凶暴な者たちが姿を消すと、弱い者の中から、捕食者が現れた。

彼らは、牙や爪を鍛え上げ、凶暴な者へと進化する。

だがこれは、創造主の予想の範疇だった。

群れる必要のある者たちがいるのは、彼らの存在があるからなのだ。

 

すぐに変化が訪れると思ったが、その後しばらくの間、シミュレーションに何の変化が見られない状態が続いた。

 行き詰った創造主は、生物に「知恵」を与えてみることにした。

そのとたん、再び進化は動き出す。

 

群れで狩りをする集団がいた。

男とよばれる者たちが、集団で獲物を追いかける。

狩りの上手い下手は、センスだ。

センスのいい者は、群れの女に人気があった。

 

そんな中、創造主は、群れのある変化に気づいた。

狩りが上手で、獲物を多く持って帰っても、不人気な者が出はじめたのだ。

どういうことだ、とその男の行動に注目して、気づく。

彼は獲物を群れに分け与えずに、自分の家族だけで独占したのだ。

 

その後、その男の行動に変化が起きはじめる。

狩りの獲物を、率先して分け与えだしたのだ。

「ほぅ」

創造主は思わず唸る。

「これは利他的な行為だ」

 

これまでにも『愛』と呼ぶにふさわしい行動を取る者はいた。

滅び去った凶暴な生物の中にもいたのだ。

だがそれは、母親が我が子に見せるものであり、血のつながらない誰かに向けるものではなかった。

 

人気が欲しいために、獲物を分け与える。

根本にあるのは利己的な思惑だが、今はまだ充分だ。

いつの日にか、『愛』に届くのかもしれない。

 

さらに時は過ぎた。 

生物たちの進化は凄まじく、テクノロジーを駆使するようになる。

創造主は、彼らの進化のスピードを恐れ始めた。

自らの持つそれに追いついた時、いったい何が起きるのか、と。

 

ある時、生物の一人が疑問に思った。

「はたして、私たちの暮らすこの世界は本物か?」と。

 

いつの日か、彼らはこの世界の仕組みに気がつき、そこから出てくるかもしれない。

そして私と対面するのだ。

そう考えたとたん、創造主は思案した。

 

この世界で本物の『愛』を見たのは、わずか数回だ。

ほとんどが、利他的な行動の中に、利己的な思いを忍ばせている。

今のままなら、会いたくはない。

 

だが、行動は思考を変えることを創造主は知っている。

思いはどうあれ、行動を続けることで『愛』にたどり着く。

 

まあ、いい。

テクノロジーの進化に、彼らの精神が追いつかなければ、リセットするだけだ。

「……はたして、間に合うか」

創造主はそう呟くと、コンピューターの電源を落とした。

 

文 清水喜文

 

 

【利己的バンザーイ】

 

「あの人の笑顔が見たいから」

その思いは、「利他的か? 利己的か?」と、考えてみる。

これはおそらく利己的な思い。

それが見たいのは、自分。

それを見ると幸せな気分になるのも、自分。

それでも、その者を笑顔にしたいという思いは変わらない。

 

誰かを幸せにしたいなら、まず自分を『愛』で満たす。

子供の頃に、傷つけられた記憶もそれによって癒してあげる。

「自分なんて誰からも必要とされていない」なんていう、嘘の思い込みを取っ払う。

そして満たされたら、溢れ出た分の『愛』を周りに送る。

世界中の人が、自分を『愛』で満たしたら、絶対に良い世界になる。

利己的バンザーイ、です。

 

ちなみに…。

英語で「私」は、「I」と書き、「アイ」と読む。

これはきっと、なんの関係もないのですが、ふと思いついたので、書いてみただけです。

 

 

【ちなみに…】

 

「私たちが暮らす世界は本物か?」という問いは、古くからあったそうです。

古代ギリシアプラトンや、フランスのルネ・デカルト、ドイツのイマニュエル・カントなどという著名な哲学者たちも、「仮想現実」という考えに、本気で取り組んできたといいます。

 

そして現在。

「シミュレーション仮説」という考えがあります。

それは、「(この世界は)技術的にとても進んだ文明によって、豊かで微に入り細に入り作られた人間シミュレーションソフトウェアなのだ」というもの。

それは、英オックスフォード大学のニック・ボストロム教授の仮説で、彼は下記のように主張しています。

 

ニック・ボストロムの主張

 
1.何らかの文明により、人工意識を備えた個体群を含むコンピュータシミュレーションが構築される可能性がある。
 
2.そのような文明は、そのようなシミュレーションを(娯楽、研究、その他の目的で)多数、例えば数十億個実行することもあるだろう。
 
3.シミュレーション内のシミュレートされた個体は、彼らがシミュレーションの中にいると気づかないだろう。彼らは単に彼らが「実世界」であると思っている世界で日常生活を送っている。
 
「シミュレーション仮説」 Wikipedより抜粋

 

 現在の物理学者は、この説を嘲笑するどころか、「それを確かめる証拠すら入手可能だ」と主張します。

 

 

【身近なシミュレーション】

 

津波のシミュレーションの場合。

コンピューター画面に、簡素化された街と、その中を動き回るいくつかの点が現れます。

その点の一つひとつが人間で、その「仮想現実」の住人。

そこで、地震を起こし、津波を発生させます

点は、慌てて高いところを目指して動き出す。

街中を移動する点に、津波が迫ります。

逃げきれる点と、飲み込まれる点。

現実の人が、仮想現実の人を使い実験をおこなったのです。

 

津波のシミュレーションで、画面上を逃げ惑う点の一つが自分かもしれないと思うとゾッとします。

 

 

【それはそれで面白い】

 

ニック・ボストロム教授が言うように。

『「仮想現実」がこの世界の真実だとしたら、創造主は何を求めているのだろう』

そう考えてみるのも面白いかもしれまん。